前回の記事では 還暦を機に髪を切ってから外側で起きた
様々な不思議についてお話ししました。
今回は、この時期に私の内側で起きた大きな変化についてお話ししたいと思います。
外側がみるみる変わり始め、こころも身の回りも軽くなったはずなのに
なぜか背中のコリが取れないばかりか、余計に硬くなった様子。
氣功ののクラスの時に見てもらったら「過去から来たコリ」と判明。。。
この先は自分一人では進行不可能と判断して
龍つかいで氣功の先生でもある真弓さん(私の髪を切ってくださった方)に見ていただくことにしました。
一緒に過去を遡っていくと そこにはビクビクと怯えた小さな私が。
両親の顔色を伺い、「怒られないように」「見つからないように」と
それを動機に生きていた子供時代。
両親の機嫌が悪ければ 息をひそめるように できるだけ透明になるように
勤めていたように思います。
気がついたら 自分の存在自体が まったく意味のないどころか
人のカンに触ってしまう。まさに邪魔な障害物のような気さえしていました。
自分が何が好きか 何がしたいか 何が欲しいか
そういうそういう感情が存在することさえ
極力気づかないように生きていた気がします。
子供時代に身につけてしまったクセが
今でもしっかりと根っこを張っていたのですね。
何をするのも動機の後ろ側に「強迫観念」が隠れていた。
「奴隷」のように、ご主人様から叱られないように
なんでも先回りしてやってきた。
それでも機嫌を損ねてしまった時には
罰を甘んじて受けてきた。
そのクセが 長い年月をかけて カラダを硬くしていた。。。
その日から、「奴隷の私」を見つめる期間が始まりました。
そうしたら、みえてくる!みえてくる!
何をするにもそこに「奴隷の私」がいて、
「強迫観念」を植え付けられて
「怒られないいい子」を演じることしか許されずにきたことが。。。
ちょっとまって!
私を「奴隷」にしているのは一体誰?
きびしかった父?母?学校の先生?
彼らはもう 私の周りには存在していないのです。
それは恐ろしいことに 誰でもない 私自身でした。
それから私は「強迫観念」でなにかをすることを一切やめることにしました。
やりたくないことはやらない
「恐れ」から行動することをやめ
自分が本当にしたいことだけをすることにしたのです。
汚れたお皿がシンクに溜まっていても
「べき」ではもう洗わない。
綺麗な空間で気持ちの良い時間を過ごしたくなるまで 掃除もしない。
人に良い顔をしようと 何かをしない。
そのひとを大切に思うから 自分が行動したくなるまで 何もしない。
学校にゴミが落ちていても 本当に拾いたくなるまで拾わない。
私が「強迫観念」で行動しなくても 世の中はちゃんと回っていくのです。
逆に、私が自分のやりたいことだけ やりたい時に やっている方が
モノゴトがスムーズにいくことの方が多いこともわかってきました。
意識したら 今まで気づかなかったからくりに気づくようになった。
理解したら 新しい世界が見えてきた。
新しい風が吹いてきました。
私を乗せた船は
帆を張ってイカリを上げて
自由への航海を始めたのです。

