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使命を見つける

アカシック思考で動くとマジックが起こる!

最近「世の中の波動が上がっている」とよく聞きますが

皆さんの周囲ではいかがですか?

今日はアカシャ年代記と共に暮らすということについて。

アカシャ年代記は綿々と流れる、宇宙と地球と人を総括する大いなる意志の力です。シュタイナーや神智学のブラバツキーはアカシャ年代記を読み解き、共に生きることのできる人たちでした。

シュタイナーのオカルト生理学には長年にわたる、土星期、太陽期やレムリア、アトランティスを含む、壮大な宇宙と地球と人類の創生から未来までが記されています。

それは彼がアカシャ年代記に記されているものを直接読み取ったものなので、年代期にアクセスできる人であれば同じヴィジョンをみることができます。

日常の生活の中で言いますと、人が頭で考えること(知的、分類的、分析的、批判的、直線的、合理的な考え方)は、アカシャ年代記には刻まれません。

アカシャの思考はイメージや感覚として、モノとモノ、人とモノ、人と人とをつなぐ生命力に溢れた意志の力で、イマジネーション(霊視)、インスピレーション(霊聴)、イントゥイション(霊的一体化)と呼ばれます。

それらは知的な思考や、個人的空想や希望的思惑とは違った質のものです。

これらの意志は四肢、もしくは心臓、子宮や腸内などの体内で最も活

発に働いています。ですから腸内環境を整える、子宮を温める

のが大事なんですね。

具体的には、心臓や内臓が絶え間なく動いているように、一定の、呼吸や感情が乱れない

速度で、穏やかに流れる川のように途切れることなく、人生の中で「動く」というもの。

まるで能楽師のように起きた意識でゆっくり動き続ける。動く内容はなんでも構いません。皿洗いでもトイレ掃除でも人と話すでも、歩くでも、教壇に立つでも、料理するでも本を読むでも良いのです。ただひたす

らゆっくりと、途切れることなく動く。

頭で動くのではなく、昔の日本人に習って「丹田」から。

すると頭がすっきりと静まりかえり、「腹」での思考が可能になります。

そのように練習していると、それぞれの動きの中に起承転結があるのに気づきます。

「起」は私たちの意識が向かう方向に行動が起きます。

「承」はその行動が現実化し、世の中に浸透していきます。

「転」はその行動に世の中の反応を起こしドラマが生まれます。

「結」は世の中と自分との間に関係が生まれ結果て、物事が収束します。

「結」の課程に入ったら流れに任せてその動きを継続しながら頭を空っぽにすると、次なる行動がイメージに浮かび、新たな「起」が始まります。

この「直感で動く」と「動き続ける」が日常になると、動きながらも、まるで瞑想しているかのように、呼吸が深くなり、意識が起きます。

浮かんでくるイメージに従って、開いた心で能動的に、手足がしなやかに丁寧に動きます。太極拳をしているような感じですね。

この流れに乗っていると、アカシャの波と自分の波動が合ってきます。

シンクロニシティが起きて来たり、自分と周囲とが一度に幸せになるような新しいアイデアをいただけたり、ご縁が生まれたり。。。

これは意識がアカシャの波と会ってきたお知らせ。

自分と周囲が有機的につながるのです。

このように日々を動くと、全ての行動が尊いモノであるという感覚が養われます。自分のケアも人や環境のケアも全てが大きな流れの一部。その中に優劣はありません。

心は鏡のように穏やかになり、全てのものに対する愛情と感謝が心を満たします。

怒りや恐怖、疑惑や自信のなさなど、頭の思考が生み出す魔物から解放されて、

自分軸が丹田を中心にガッツリ座ります。

いつでもどこにいても始められることなので、気が向いたら試してみてください。