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今を生きる

自信の本質(2)自信のパラドックスー歴史的にみる「知識」と「経験知」の位置関係

「自信の本質(1)自信はどこから」でお伝えしたように、

聞きかじりの知恵や情報集めによって身にまとった「情報収集自信」は

とてももろく、環境や状況によって変化しやすいものです。

また、経験の伴わない資格や学歴などの「よろい型自信」も

内側の弱さがふとした拍子に自己疑惑や自己嫌悪を起こしかねません。

 

本当に真の通った自信は、身体から滲み出る、「経験知」に満たされたものです。

けれども、ここで出会う困ったパラドックスがあります。それは

現代人には「経験知」が見えない。経験で得た知恵は(頭で)認識されないのです。

職人にみられる「経験知」は手足で養われる意志の力の叡智で、

学歴社会や競争社会では、位置が確立しておらずにかえって低くみられてしまう。

「経験知」が豊富なお母さんたちや主婦の方たちから

「自信がない」がきこえるのは

社会の仕組みの中でいかに「経験知」が低く位置づけられてきたかを

物語っていると思います。

「ばか様が使命を果たせる理由」をご参照ください

この、目に見えない力・意志の力を無いものと扱い始めたのは

実は歴史的にみるととても最近のことなのです。

西洋文明が思考力を階級のトップに座らせ、

全世界を植民地化した。

それからというもの、

男性力(思考の力)と

女性力(意志の力)が均衡を保っていた

世の中が、一気に男性性によって、思考の力によって征服されてしまったのです。

全てをつなぎ合わせ、意味を見出し、死んだものを再生させる女性(霊性)の力を

亡きものにしてしまってから、世の中に救いようのない痛みと

不理解が広がっていきました。

その結果、人が生きる意味を失ってしまった。

自分の使命とつながれなくなってしまったのです。

真の女性性の復活。意志の力の復権。経験知の地位向上が今求められています。

日本文化は「意志の力の強い文化」です。

その伝統の中に培われた「意志の力」は世界に類を見ません。

日本人が今立ち上がらなければと言われているのは

私たちには「意志の力」を感じ、認識する素質が、太古から備わっているからです。

「知性の力」は人と社会を切り離します。(男性性・西洋の力)

「意志の力」は人と社会を繋げ、まとめます。(女性性・東洋の力)

この先、この「意志の力」と「経験知」がもっと認められ尊重されることで

人と人とが本当の意味でつながれるようになることを心から願っています。