いつも輝いていられるわけじゃない?
日々の暮らしの中で、ふと立ち止まってみたくなる。そんな時に、一緒にお茶しませんか?
プロフィール

職歴・学歴について1(修士を取ろうと思った理由)

若い頃、生きるということにあまり情熱を感じたことがなかったので

わたしは短大を出て企業に就職するという

ごく一般的な道を進みました。

短大を選ぶ時も、勉強するのが一番苦手だった

「英語」が受験科目にない学校を目的にしました。

そのまま就職・結婚と、世間からはみ出さないような道を歩み

前夫の転勤で、家族でアメリカで暮らすようになりました。

まもなく娘たちを地元のシュタイナー学校に通わせるようになり、

そこで出会った友人から頼まれたのをきっかけに、

地元の小さなできたてのシュタイナー学校で

子供たちに日本語を教えるようになりました。

学校が小さかったことと、日本語が母国語だったことから

学歴も、資格も、職歴も全く問われることなく

その道を21年進みました。

今までやったことがなかった「教える」という仕事。

すべて手探りで日々、子どもと向き合って、

生徒に教えてもらいながらプログラムを作る日々。

決して楽ではなかったけれど、たくさんの失敗を繰り返しながら実践から学ぶことで

多くの喜びをいただきました。

子どもたちはやんちゃで、わたしの未熟さには容赦ないけれど、

こちらの学びにはとても寛容で、

わたしの気づきを次の授業で活かすことができれば、

いつでも昨日の失敗は何事もなかったかのように、きれいに忘れてくれました。

そうやって皆に支えられて進んでいくうちに、

学校と一緒にわたしも少しずつ成長しました。

自分がやっていることの全体像がすこし見え始めるまでに三年。

それが自分のものになってきたと感じるまでに七年。

経験から学んできたものを語れるようになるのに十二年かかりました。

そこから組織の仕組みや社会との関連性が見えてくるようになり、

経験が二十年を超えると、後任者を育てることが仕事の一部となりました。

当時の学校が小さかったこともあって、

教師生活三年以降は、

ボードメンバー、専科リーダー、カレッジリーダー、プログラムリーダーなど

いろいろなリーダーシップをとる機会をいただき、

二十年教師をした後、教頭職につきました。

米国では、学校管理職はその過酷さから

平均任期は二年から二年半と言われています。

一旦管理職に就くと、教職員に戻ることなく

あとは学校を転々としながら退職するまで働くのが一般的です。

それを考えた時に、管理職を転々とするためには学歴が必要だと気が付きました。

学校の管理職に採用されるためには、

学士は最低限、修士が望ましいとされているからです。

短大の卒業資格しか持っていなかった、

さらにはシュタイナーの教員養成も受けてこなかったわたしは

学士がなくても、短大の単位数と経験年数を考慮してくれる

シュタイナー教師としての資格を併せ持つ、修士課程のコースを見つけて入学しました。

53歳の時でした。

修士課程を終了して、メールのサインにM.Ed.(教育修士)の三文字が加わった途端に

世の中の反応が変わるのを経験しました。

話を聞いてくれる人が増えたのも実感しました。

特に言葉も違う異国で、その三文字をいかに人が信頼するかも知りました。

学歴社会は今も確実に存在します。

今この歳になって、学歴と経験とを両方持つようになり

知識と自信と存在を支えてくれているのは

「学歴」ではなくて「経験」だ。と、はっきり断言できる自分がいます。

逆に言えば、「学歴」あるからといって

知識と自信と存在感が身につくものではない

というのも事実だと思います。

そこで…

経験を積むことを、決して後回しにしない。

学歴をつけるのに遅すぎるということはない。

学歴は経験に取って代わることはできない

ということを、ぜひ覚えておいてほしいなと思うのです。